聞き慣れないかもしれませんが,私たち弁護士は,法教育というものを推進しています。

主な各弁護士会に,法教育委員会というものがあり,その委員会を中心に活動しています。

具体的には,小学校〜大学まで出前授業に行ったり,模擬裁判をしたりします。

その目標は,正義,幸福,公正,効率,といった普遍的とされる理念や価値をベースに,法的なものの見方・考え方

を身につけ,様々な課題に向き合って,異なる意見の立場と対話し,適正に解決を図ることができる,民主主義社会

の構成員たる市民を育むことだとされていると思います。

なかなかレベルの高い目標です。

そんなわけで,出前授業や模擬裁判の機会をいただく度に,どんなものを提供したらいいか悩み,試行錯誤しながら

進めるというのが正直な現実です。

弁護士は法律実務家です。研究者でも,教員でもありません。

実務家の立場から,出前授業で現在行うことの多いものが,特定の学校内や社会内の課題を設定して,異なる意見の

立場から,裏付け(根拠)をもって主張を交わし,交渉や調整を図り,結論を導こうとする経験の授業です。

例えば刑事模擬裁判も,被告人と検察官の立場から,証拠をもって主張を交わし,結論を導こうとする類似のプロセス

の経験です。

私たちは,これを行うことによって,法的なものの見方・考え方の獲得に役立つとおおむね信じていると思います。

ただ,最近考えることがあります。

現実,対論のスキルを得るだけの経験になっていないか,本当に,理念や価値をベースに検討させられているのだろう

かということです。

正直,短い授業時間の中で授業をしてみると,あまり考えさせることができず,とりあえず,理由をつけて対論し合った

という範囲で終わる,スキル中心のものになることも多いです。

これは私の力量不足があるのですが,一方,悩むのは,このようなスキル,技量というのは,何も法教育で語らなくても

道徳や,公共や,家庭科など,標準の科目の中でも学習が図られているので,そもそも弁護士でなくてもいい面があると

ということです(学校の先生はお忙しくて,そういう授業はなかなか手が回らないから,弁護士などに任せたいというニ

ーズはあると思いますけど)。

このことに単純に疑問を感じ,では,私たち弁護士は,弁護士だから何を子らに伝えられるのか,あらためて考えてみま

した。

正義,幸福,公正,効率,といった普遍的とされる理念や価値を伝えられるだろうか,自分で残念に思いましたが,私は,

法律実務家にすぎず,公正や効率ということをとっても,しっかり話す力量をもっていません。

じゃあ,他に何があるのか。

結構悩んで,最近思い浮んだのが,私たち弁護士は,「知らない」「分からない」という場所で仕事をしているということ

です。

民事でも,刑事でも,私たちは,過去にあった事実を証拠をもって明らかにしようとします。でも,神さまでなければ,

本当の事実は決して分かりません。

私たち法律実務家だけが子らとの関係で得意なのは,実は,事実を明らかにするプロセスや技量ではなく,「知らない」

「分からない」という場所にどっぷり浸かっていて,流転の事実は,「知らない」「分からない」ものだと,リアルに伝えら

れることだとぼんやりと考えました。

皆さんは,たぶん,基本「分かる」場所,「決まる」場所に慣れています。勉強も,答えがあり,会社も,決めるべき結論

があり,研究も,たどり着くべきターゲットがあります。「知らない」「分からない」,答えがないことに不慣れです。

「知らない」「分からない」,答えがないことに不慣れであるとき,実は,異なる多様な意見があることに向き合うこと自体

が,それなりに意識を要するものになります。

だから,私たち弁護士は,子らに,その向き合った時の対論のスキル,技量を伝えるよりも,そもそも,「知らない」「分か

らない」,答えがない場所のことをリアルに伝える,だから自分の意見を持ち,人に説得的に伝えられ,異なる多様な意見に

向き合う大切さを意識してもらうことが大切ではないのかと。

うーん,しかし,よく分からない。

とにかく,これから授業をする機会には,「知らない」「分からない」,答えがないことが当たり前なんだよね,どう思う?

から,事あるごとに始めるようにしようと思っていて,これ以上のことは,少しずつ考えて進めていきたいと思っています。

自分でも忘れそうなので,ここに書きました。

弁護士がこんなこともやってると,知っていただけたら幸いです。