差別を助長するなどとして表現が変わった言葉がいくつもあると思います。認知症,統合失調症などです。

変わる前は普通に使われていた言葉が,当事者の心に刺さり傷つけ,又,社会がレッテルを貼っていることがあるんだと思います。

言葉には本当に強い力があります(日々の自戒を込めて、、)。

いま気になるのは,「不登校」という言葉です。みなさん,どうですか?

「不登校」は,少なくとも私には,そしてたぶん,たくさんの当事者の児童生徒と家族の心に刺さります。

以前は登校拒否と言われていたのを言い換えたと聞きますので,考慮された言葉なのだと思いますが,それでも,じわっと心に刺さるのです。

不登校という言葉には,学校に行くのが望ましいこと,学校に行かない・行けないことが望ましくないことというイメージがつきまといます。

もちろん,それは立場によって正しいことだと思います。特に義務教育では。

教育機会確保法には,不登校児童生徒という定義があるし,法律が用いている言葉でもあります。

でも,その当事者と家族にとっては,正しいことであるがゆえにも心に刺さるのです。

望ましいことをしていない,できない,そういう自分や子どもがダメなんだとじわりじわりと刺さるのです。

刺さり続けると,なかなか抜けなくなります。押し返すにはより力が必要ですが,とても大変です。

これから,できるだけ,「不登校」という言葉を見聞きするのが学校現場やメディアから減るといいと思います。

学校に来ていない児童生徒を言い分けしないといけない時は,単に「学外」ではダメ?

当事者の児童生徒と家族が,今の自分や子どもの居場所を納得できて安心できるように,ほぼほぼ,それだけです。