これは,まだ親の介護に向き合う前のみなさんに向けた言葉です。
私は,十数年前に父を亡くし,今は母の介護に向き合っています。
父はあまり長くない期間でしたが施設で暮らし,施設で亡くなりました。
父が亡くなった後,しばらく経ってから,私は自然と,もっと父と向き合って酒を飲んだりいっしょに庭の手入れをしたりしておけばよかったと悔いる気持ちになりました。
もっと一緒に過ごしたかったと強く感じたのです。
今は,母に定期的に面会に行き,ゆっくりと話す時間があります。でも,今の母は,自分が子供だった頃,青年だった頃の母ではありません。
ある程度高齢になってくると,皆自然とそうなるのだと思いますが,個人の性格のキワだった部分や,過去に印象的な体験をした際の感情の記憶が心を占めていきます。
自分はこうなんだという場所から移動することや,周りを見渡すことができなくなります。子であっても,向き合って話をしても,ああそうだよね,そうしようかなあ,
みたい対話ができないことに哀しい気持ちになります。
そして,ああ,そんな年齢になる前に,もっと母と向き合って話をしておけばよかったと悔いる気持ちになりました。
もっと一緒に本当の意味で生活を共にしたかったと強く感じたのです。
私は,母が施設に入る前,一人暮らしが不安になってきた頃から,見守りの意味で自宅で寝泊まりするようになり,あまり話すこともなかったのですが,数年間,同じ屋根の下で過ごしました。
これは,本当の意味で生活を共にしたとは言えませんが,それでも,私の大きな慰めになっています。数年間,ほぼ毎日様子を見るだけで,その時間の移り変わりを感じ続けることができたからです。
そのようなわけで,私は,まだ親の介護に向き合う前のみなさんに,少し早めの介護をすすめたいです。
親が問題なく暮らしている間,私たちは,介護はまだ早いと考えがちです。親も喜ばないし,何より自分から手をかけたくないと考えてしまいます。
何かし始めるときも,あれを入れよう,これを変えようとモノに目が向きがちです。
おそらくは,介護を経験した後,多くの人が自分のように,もっと一緒に過ごしたかった,もっと一緒に本当の意味で生活を共にしたかったという気持ちになり,仏前に手を合わせるのだと思います。
少し早めの介護は,子だけでなく,親の老後の時間も豊かにするような気がします。
親との同居が当たり前だった頃は,こんなことを考える間もなかったのでしょう。私たちは,自分のために,パートナーのために,子のために,親のために,他人のために生きています。
自分以外のことを特に意識して大事にしなければ,手の中から簡単にすり抜けていく社会に私たちは生きているのだと思います。